DMMの創業者を調べてみた

最近なにかと新事業で話題となるDMMですが、動画配信やオンラインゲーム、仮想通貨、ロボット事業など何をやっているか実態が分からないと思っていました。そして会社の知名度の割には創業者の話を聞いたことがありませんでした。ちょっと興味があったので調べてみました。

 

創業者の「亀山敬司」氏の経歴です。1961年石川県生まれで現在57歳、地元の高校卒業後、税理士を目指して上京、専門学校に入学するも中退します。都内の六本木でアクセサリーの露天販売を始めますが、その後、石川県に帰り飲食店経営などを経て、レンタルビデオ店を開業します。これをきっかけにアダルトビデオメーカーとしても製造販売を行い、現在のDMMの原型ができあがります。1998年、インターネット黎明期にネット配信事業を開始して、1999年に石川県で株式会社デジタルメディアマート(現DMM.com)を設立します。

 

本人は「当たったのがたまたまAVだっただけ」と特にアダルト業界にこだわりはないようで、アダルトコンテンツ事業で蓄積した200億円以上の内部留保で2009年から多角化を進めています。外国為替証拠金取引(FX)事業から始まり、太陽光発電事業、オンラインゲーム事業、ロボット事業などに参入しました。

 

元々アイディアマンだったようですが、「50歳にもなるとアイディアが浮かばなくなる。SNSスマホとなると頭がついていかない」とのことです。2011年からこれを補うため「カメチョク」(亀山氏直下の新規事業)と呼ばれる起業家らアイディアを持った外部の人を業務委託として雇い、実働部隊と資金を与える仕組みをつくっています。その結果生まれたのがオンラインゲーム「艦隊これくしょん」やオンライン英会話(DMM英会話)、3Dプリンターなどです。

 

ある年は応募者200名くらいで、そのうち50名と契約します。「金はいい値で出すけど、半年で形にならなかったらクビ」で半年後に残ったのが10名で、その中からオンラインゲーム「艦隊これくしょん」が生まれます。この大ヒットで49人分の損を1人で全部取り返してくれたとのことです。

 

これがDMMの新規事業の取り組みの神髄で、どれが成功するかわからないととりあえずやらせてみせます。社内の事業の多くが死屍累々で失敗ばかりといいながら、平均すると年3割くらい成長させている企業の原動力は数多く新規事業をやってみて、1/50でも大ヒットすればいいという確率論で成り立っていることです。

 

本人は積極的にメディアには出ないようで、顔写真は公開していません。最近メディアに出るようになったのも「DMMはヤクザがやっている」という噂を払拭するためのようです。あらためて企業が情報発信することの大切さを感じます。

 

現在はDMM.comの会長職のポジションで、未上場にも関わらず3800億円の純資産を持っているという説もあり、今や日本の資産家ランキング9位に入るといわれながら、物欲のない人らしく会社へ自転車で通っているようです。「子供のころから商売をやることが好きなんですよ。小さいころは、うどん屋とか海の家とかの手伝いをやっていたんです。昔からお金儲けが好きだったんですよ。使いたいからお金が欲しいというわけじゃないんです。お金を儲けてまた別のことをやりたいということですね。」とも語っています。

 

19歳で専門学校を中退して、六本木で露天商となり道に布をひいてアクセサリーを売っていた少年が、今は同じ六本木の高層ビルの中でグループ従業員も含めると3000人の総帥として亀山氏は君臨しています。映画のようなサクセス・ストーリーです。

 

「将来僕が引退するときは、会社を誰かに売却して、それで得た資金はボランティアなのか、贅沢なのかは分からないけど、全部使ってしまうのが理想。もともと子どもに会社を継がせるつもりはないし、財産を残すつもりもない。無理して入れても幸せになれるか分からないし、自分の手で何かを作り上げたほうが本人のためでしょう」となにか達観したようなコメントが印象的です。